ギィーッ、ギィーッ、ギィーッ。
金属を擦り合わせるような音が耳に響いていた。
ずっと響いていた。
私にとってそれは苦痛の音じゃなくて、もっと穢れの無いもの。
救いにも似た感情を沸き立たせる。
奴ら。これは奴らがやってくる音。
でも大丈夫。決して怖くないし、恐れることはない。
この世界の住人である奴らに私は救われたようなものなのだから・・・。
音が止み、しばらくの間をおいて・・・。
私の首筋にはひやりとした刃物が押し付けられていた。
ノラはそこで目を見開いた。
しかし睨み付けた視線の先には別に何も無かった。
ただ、暗い木々に囲まれた場所に横たわる自分が一人いただけ。
周りには何者の気配も無い。
「私は狐さんを追って・・・」
尻餅をついたままノラは上を見上げた。
「ああ・・・高いところから落ちたのね・・・」
ゆっくりと腰を上げてその場から動こうと思って出口を探す。
そしてすぐに道らしきものは見つかった。
「おじさん、私のことを置いて行っちゃって・・・許さないから」
ノラが元々こういうことになった原因といえば助けの手が無かったから
だとも言える。そういった意味で少しの苛立ちを抱えていた。
そして駆け出したノラは森の出口へと走っていった。
一拍置いて崖の物陰に小柄な影が浮かび上がった。
普通ではない外殻。凶器を思わせる手中のモノ。
そいつは元からそこにいたかのように一点を見つめていた・・・。
私は常に希望を逃さぬように、目標を追い続けてきた。
そうしないと悲しいものを思いだしてしまう気がするから。
それにそれはきっと現実の記憶じゃなくって、私の勝手な妄想。
過去にありもしないことを頭の中で作り出してしまっただけ・・・。
だから。今ここにあるものが全てなんだといつも言い聞かせてる。
そういえばあの神社の少女・・・。いつも納得いかない結果を招く彼女。
言うなれば私と性格は正反対。人のことを常に許してる・・・。
無闇に何でも信じてしまうあの性格が分からない。。
どうしてそんなことができるんだろう。絶対に・・・ありえない。
そうだ・・・。私は今何処に向かってるんだろう。
おじさんの場所も分からない。狐さんも見失ってしまった。
私は・・・私はどうしたら・・・?
「私には・・・・・・居場所が・・・・・な・・・」
一瞬だけ頭に赤い記憶がよぎる。存在するはずの無い記憶。
・・・一人は苦手だ。いらないことを考えてしまう。
そして記憶の終わりに聞こえてくるのは・・・金属の音だ。
あの音は落ち着く。私の始まりの音だから。
耳の中でその音をリピートしながら心を落ち着かせるんだ・・・。
思えば私が初めて目を開いたのは綺麗な月の晩だった。
ちょうど今夜のような大きな丸い月のときだ。
そして導かれた・・・ここで生きる方法を知ったやつらに。
小柄で大量に存在するやつらに。
「どうして心を許してくれないのかな・・・」
遥は本当に困った様子で考え込んでいた。
その時、林の奥から黄色いやつが転がり飛んできた。
「ぜえ・・・、ぜえ・・・。やっと逃げ切ったか・・・」
飛び込んできたのは狐の眼荷だった。
「ずいぶん息が荒いな。何かあったのか?」
「うむ・・・こーんな耳の生えた奴に追い回されてな。これで何度目か・・・」
「こんな耳って・・・そのまんま狐の耳じゃないか」
「それって、ノラさんのこと?」
「誰さんだか知らないが、そいつかもしれんな。興味無いが」
「あの子言う事聞いてくれないのに・・・動物が好きなのね。少し羨ましいかも」
「それなら代わりに追われてくれ・・・もう勘弁ならん。じゃれてじゃれて」
「・・・!!誰かいる」
俺は何かの視線を感じ取り、すぐさま神経を研ぎ澄ました。
「・・・これは」
遥が静かに答える
「関係ないよ。大丈夫」
「・・・」
しばらくして気配が消えたのが分かった。
「一体何が・・・?」
「この世界の住人だよ。永汰もよく気付いたね」
「気味が悪いな・・・、覗き見なんて」
「彼らはずっと昔から存在していて、害も与えてこないの
私たちは彼らのことを童子と呼んでる。本当に影のような存在」
「奴らは何なんだ?」
「わからない・・・ただいっぱいいるってだけ」
その後俺たちは目荷のような狐の霊が入れる特別な結界を張り、
この世界で言う昼の時間まで休養を取ることにした。
しかし遥にも分からない存在がいる。しかも大量にいるということは
俺にとって非常に不安をたぎらせる存在だった。
害を与えない者・・・しかしそいつの目は明らかにこちらを見ている。
まるで監視しているかのように・・・。
どうしても休む気にはなれなかった。
時間がたち、昼になるとそいつらの気配は消えた。
暗闇たちこめる世界の中でも昼になると姿を現さない
彼らに俺はますます不気味さを覚えた・・・。
外は雨が降っていた。
結局外出は控えるということで皆動く様子は無く、
のんびりとした時間を過ごす気でいるようだった。
「もう耐えられん。外に出るぞ永汰」
・・・しかし例外がいた。
目荷は少しばかりの結界の圧力に鬱陶しさを感じたのか
外に出ると言い出し、勝手に駆け出していった。
「お夕飯の用意ができましたが」
それと入れ替わりに千香が部屋に入ってきた。
食事なんて全く忘れていたことなのだが体力も限界、
休んでも疲れが取れないので補充を余儀なくした俺はお昼にありついた。
「ほんにおいしいご飯だわ〜。お腹すいちゃってたのよ」
出された飯を千鶴が切り分けて消し去るという変な食事を目にしつつ
千香の料理を堪能した。
「本当に料理が上手なんだな。関心したよ」
「そんなお褒めに預かるほどではないですけど・・・
できれば全員で食べたかったですね」
「そういえば狐の姿が無いな・・・」
騒がしいにもほどがある奴だが居ないと静か過ぎるようにも感じる。
「眼荷様なら結界がどうにも嫌だと言って出て行かれましたが」
・・・しょうがない奴だ。
この世に来て最初に自分にお節介をくれたのは一応眼荷な訳だから
貸しが無いわけでもない。それに襲撃を受けたすぐ後であるという現状
から再び彼らが襲ってくることは無いと考えた。
「ちょっと探してくるよ」
「そうですか・・・では山頂の方へ向かったようですのでそちらへ。
お気をつけて下さいね?危険は無いとは思いますが」
ほんのりと白けた空に山なりの陰りが形成されている。これが山だろう。
山には獣道ができていてそこを通ることになる。
周りには高い草が生え、その他の道を歩くことは非常に労力が要ることになる。
この頂上へ向かう道を行けば眼荷とも合流することになる。
俺は軽く頷き山へと歩を進めた。
俺は最初この世界に来た時のことを考えていた。
誰の手によって狂った世界に来たわけでもない。
元に戻ることも可能か分からないし何一つ解決の糸口の無いまま今に至る。
でも仮死世界に来て初めて初めて見たもの、それは遥だ。
やっと見つけたと思った。それで安心できたならどれだけ心が晴れただろう。
以前の正常な世界には俺の大切にしていたものがたくさんあった。
今ここにそれはあるのだろうか。
あるとすれば・・・遥や千鶴たちのことだろう。
彼女たちや狐を失ってしまったら今俺には本当に何も無くなってしまうのだろう。
人は大切なものをいつも近くに留めていないと生きていられない。
俺が失った時間はいつか還ってくる時が来るのだろうか・・・。
その時目の前を狐のような影が飛び出した。
素早い動きでそれは森の頂上の方向ではなく、林の中へ横切っていった。
すぐさま俺は追うべくして走っていった。
やがて追い付いたかに思える距離まで詰まるとそれは宙を跳び、何かを避けた。
何か大穴のようなものが視界に入り、
必死の思いでつまずきつつもそれを飛び越えたかに思った。
俺は動きを止め、バランスを取ろうとしたが矢継ぎばやに肩に衝撃を浴びた。
暗転、転落。
遅れて言い様の無い衝撃を体に受け、鈍い痛みが全身を襲った。
何かが俺に覆い被さるように倒れていた。
「イタタ・・・・・・一体何が起きたの?」
「お前か・・・」
俺をクッションにして転落した犯人は先ほどの襲撃をしてきた少女だった。
この少女はその時会ったというだけの関係だった。
強い痛みが退くのをしばし待って、少女は俺のすぐ傍から離れた。
「何であんなところを飛び出してきたんだ。見失ったじゃないか・・・」
「知らないよ。関係ないでしょ・・・。私に非があるわけ?」
近くで見るとこいつには違和感があった。
どうしてもこの少女とほぼ初対面な訳では無い気がした。
どこかで俺たちは会っているのか?
それなら何時?そんな時間は無かったはず・・・。
「・・・そんなことよりあいつはどうなったの!」
「あいつ?狐のことか」
「違う!あいつよ!小柄で刃物を持ってる」
「知らないぞそんな奴・・・」
辺りを探り、登るところが無いか確かめながら頭上を見る。
その時薄い月明かりが照らしているのを陰りが遮った。
俺は井戸に陰りを作った正体を見、体が凍った。
先ほどから感じていた転落の体の軋みなども消え去り、
"それ"と目をそらせないままでそこに立ちすくむだけだった。
やがて姿がはっきりとしてくる影。
頭の先まで被る汚れた布に醜悪な顔つきが垣間見える。
「来た・・・!」
「一体何をする気だ・・・」
それはこちらを見つめるだけで何か行動を取ろうはしない。
そいつの顔面は鼻が潰れ、表情が読み取れない。
じっとこちらを伺う眼球は過度に飛び出している。
俺はそいつの眼球を見る度、不思議と意識が薄くなっていった・・・。
このままでは駄目だと思いつつも耐え切れない遠のきに引きずられて行く。
傍にいるこの子の身も危険に晒される。それだけは避けなければと・・・。
結局、井戸の出口の光さえも見失った俺は薄弱した意識に身を任せるしかなかった。