ああ、またこの夢か。と遥は思った。
ぽたりぽたりと水滴が落ちる音と力の抜けていく自分の体。
じんわりと水を帯びた木の香りが鼻を刺す。なぜこんなに臭うのか。
埃臭い・・・。窓の外には大降りの雨。
ああ、この臭いは時間がたった木が濡れて出すものなのか。
それにしても、なぜこんなに体がだるいんだろう。
うつのような重みが下へ下へと体を引っ張る。
では、ぽたぽたと水が落ちているのは雨漏り?
わからない。見てみよう?
首が回らない。なぜ?
それに、天井から引かれているこの縄は何?
体をぎちぎちと絞めつけるこの縄は・・・
ド、ドガシャアアアァァン!!!
鉄の塊が地面にぶつかるような音が塑納神社の沈黙を破った。
ビリビリと神社の地面が揺れて今にも崩れてきそうな天井の音に
遥は何事かと目を覚まし、おもてのほうへ走り出た。
「やっほー、遥ちゃん!」
鋭い目をした少女が遥に向かってぶんぶんと手を振る。
奇抜な色をした服の少女は遥がこちらを向いたことに気づくとニカッと笑った。
そしてその笑顔に似つかないほどの鋭い牙が現れる。
遥が異変に気付いた時、場の空気は凍えた。
おかしな少女が頭上で振っていたものは小ぶりで柄の長い斧だ。
力任せに振り払えば肉を爆ぜ、斬り放ってしまうだろう。
遥はその場で動かず、全身を強張らせて警戒を固めた。
少女はゆっくり斧を下ろし、正面から遥を鋭い目で見つめる。
「私の目的は何だか知ってるよね・・・!」
二人の間に短い緊張が奔り、お互いを威嚇する。
「おい、ノラァ!!とっととソイツをぶっ殺すつもりでかかれよ」
「・・・わかってるよそんなこと!」
声のした方には声を荒げるイカつい顔の男がいる。
鍛え抜かれた体に身長は並ほど。幅の広いサングラスに隠れて表情は読めない。
歳は40に至らないほどであろうが頭髪は白けており、血管が浮き出ている。
その男の腕には大型の筒が抱かれていた。
筒が何を及ぼすのか遥には皆目検討がつかなかったが危険なものだと判断できた。
一層の警戒を強めながら遥はノラと呼ばれた少女に問いかける。
「あなたはなぜ破壊を望むの・・・何の利益があってそんなことをするの」
「今の私の存在意義だからだよ。遥ちゃんに理解する必要なんて無い」
次の瞬間、旋風が巻き起こると同時にノラの狂気を帯びた一撃が遥に向かう。
神経を研ぎ澄まし、勢いのついた一撃をかわして両手に力をこめる。
続く左手が斧を手離し、爪を剥いて遥に二撃目を加えようと勢いをつける。
双方必死の形相で体のスピードを最大限に引き出す。
ノラの爪先が遥の頬を触れた。
間に合わない・・!?遥の脳裏に切り裂かれる自分の顔が浮かぶ。
ほぼ同じ速さで両手がノラの腹部に当たり、
黒い霧が空間ごと彼女を吹き飛ばした。
轟音がして土煙をあげるた後、二人が姿を現す。
セーブできなかったパワーがお互いに圧力をかけて、遥は尻餅をついていた。
「さて、こちらは準備万端なわけだが。このまま発射しちまうがいいのかな?」
中年が喋るや否や筒を真横に向けていた。
その先は・・・境内。
爆音が響き、火薬を撒き散らしながら筒が咆哮した。
自分に力は無いと思っていた。
俺はひとつの命も救えるような人間ではない。
だから、このまま闇に溶けていたいと願った。
目は覚めているのだが、目を開けたいとは思わない。
誰も動かない俺を攻めることは無い・・・。
力無い者を欲したりはしない。この世界ではそれがいわば掟・・・。
「支え合う心が私達にあってですね」
誰かが。誰に言うでもなく囁いた。
「私も無力ではなくなるのです」
「俺に力は無くて・・・他の誰かに守られるだけの存在」
「本当にそう思ってるのですか。あなた自身を守る力を手に入れたのに」
「・・・?」
「姉はあなたの過去を大切なものだと感じています。暖かな力を感じると」
目を開けると喋りかけてきた人物が刀を俺に差し出す。
その人物、千香の手元には重いにび色の刀、千鶴がある。
刀で自分を守ることができるなら今後、
足手まといになるようなことも無くなるんだろう。
しかし、刀を抜いた時自分にかかった負担。
あの力は脳の痛みを何倍にも膨れ上がらせるような負担を与えてくる。
それでも俺は欲しい。力が。この悪夢を抜け出すための力が。
ゆっくり刀に手を触れる。
触れた瞬間に見えたものは現実や悪夢を通り越した、地獄だった。
地から吹き出す轟炎。黒焦げた人々が地を這う餓鬼と化し、人を貪る光景。
おぞけのする有様に俺は目を見開き、嘔吐感を喉の奥に感じた。
―――目を逸らしてはなりません。これは力です。守る、力です。
遠くから声が聞こえる。誰も俺に話しかけているのではない。
脳に痛みを吹っ掛けながら聞こえてくる、痛みだ。
でも・・・。
己を守るための力が今は必要だった。
痛みを通り越すほどに力を自分が欲していた。
俺は・・・刀を持つ手に一層の力を籠めた。
『私の世界が見えましたか、永汰さん』
「ああ・・・見えた。はっきりと」
意識に話しかけてくる気配に耳を研ぎ澄ませると、そこに千鶴がいた。
人の姿をもち、白い袴を身に纏った、異様な雰囲気をもった人だった。
『写る景色はみな刀に血を捧げられた人々。抵抗することも許されず力に埋れた。
力に流されるが故、人は呪物に魅入られてゆく。
抗う事を辞めた"人だった者"たち。故に"人ではなくなった者"たち。
今では私という煉獄の中にいる餓鬼でしかない。
但し私を手に取り、ひとつ横に振り払えば存在する物体を死の概念の元において
消し去り、この世に非ず場所へと掻き消しましょう。
己を捨て去らないように・・・ゆめゆめ忘れないで下さいまし・・・』
俺はこれほどまで無いほど目を見開き、体を持ち上げた。
体を伝う嫌な汗。次に聴覚に響いたのは何かが弾け飛び、
地面に叩きつけられる音だった。
すぐさま部屋を駆け出て、物音のほうへ向かった。
何か叫んでいる男が筒のような物をこちらに向けていた。
俺の姿を視認し、男の顔に一瞬迷いが浮かんだが改めて標準をこちらに向けた。
・・・・・・来る!!
俺は手にしっかり握りつけていた刀に目を遣り、改めて千鶴を抜いた。
土色の世界はモノクロに染まり、男の咆哮とともに筒もまた咆哮と呼べる
爆音を響かせた。
迫り来る大玉は火花に見えては消えるギラギラとした火薬を撒き散らす。
外せない位置まで近づいた火薬の塊を肩口から斬り去る様に引き払い、
刀を返して真横に斬り飛ばした。
終わりに剣先は鞘に吸い込まれるように納まる。
重い刀を振る一連の動作が一人の力ではなく、多人数の融合感を感じた。
斬る度、感じたのは飢えの感覚だった・・・。
地面の色が戻り、薄暗い森の色が灯った時改めて聞こえたのは
爆竹を破壊したような音が二つ。
永汰の右後方と土が焼けた跡が残り、
左後方に瓦が数枚崩れ落ちる音が遅れて聞こえた。
永汰を除くその場の全員が唖然とし、何が起きたのか判らなかった。
「・・・・・・おい、何しやがった坊主」
苦い顔をしてイカつい男は低いトーンで喋りだした。
「とっさの判断で斬るしかなかった・・・!」
「斬ったって、今の火薬玉を!?」
今度はノラが騒ぎ出す。
「てめえ変な術使いやがって・・・!ずらかるぞ!!」
その場のどうしようもない空気を切り出すように中年は言い放ち、
草むらとは逆の路地のほうへ逃げ去っていった。
「・・・ッ!ま、待ってよ!イタッ、ダメ。動けない・・・」
力任せに遥に吹き飛ばされたので身動きが取れないようだ。
彼女にとってこの場は敵だらけであり、頼れるのは自分しかいない。
いつ自分は消されるだろうかという焦燥にかられ、
ノラは非常に慌てていた。
しかし遥は無表情に歩み寄っていった。
「・・・ヒッ!来るな・・・来るなぁ・・・!」
どうも彼女は自分が優位に立っていないと正気でいられない類の者らしい。
そうこうするうちに遥はノラのすぐ近くまで来て、ふっと手を差し伸べた。
「立てる?」
ノラはその少し手を動かしただけの動作にも体を痙攣させ、顔を伏せた。
「・・・ゥゥ・・、・・・え?」
遥の行動に本当にびっくりしたというふうな顔をして
目をキョロキョロさせている。
「さ・・?」
もう一歩遥が歩み出た時にノラは飛び上がって、表情を戻した。
「・・・そんな手に乗らないんだから。・・・私は絶対騙されない」
ノラは警戒を解かずにじりじりと距離を離し、逃走を試みている。
元より遥たちは追い回す気もないのだが、彼女なりの決心が心を許さない。
結局和解することはなく、遥の親切も空振りに終わったようだ。
「っく・・・はぁ、はあ・・・あいつら、変な奴らめ・・・」
山道を駆け下りながらノラは小言を言い続けていた。
ドンッ!!
ふいに白い毛玉の妖怪に足を取られてよろめいた。
「ちょっと・・・危ないじゃないの、どこみてんのさ・・!」
「其れは我の台詞だ!我を誰だと思って・・・」
躓いた物体はどうみても眼荷であり、
今まで神社の外にほっぽり出されていた様子である。
「お、おまえ・・・!!あ〜〜〜っ!!!」
「ぬ、貴様。あ、あーーー!!!」
同時に驚きの声が発せられ、否応無しにお互いの顔を見合う。
しかし次に発せられるのは意外な言葉だった。
「きつねさん・・・かわい〜〜〜!!ペットペット!絶対飼うー!!!」
「うわ、誰か!助けてくれ!!ぎゃぁぁぁーー!!!」
老練した妖怪にも得手不得手はあるようで、
どうしても勝てないものも存在するように自然の摂理は出来ている。
人だって様々な病原に勝てやしないように、妖怪もまた然りである。