「私の名前は遥・・・君は?」
「俺は、永汰。どうもさっきからお世話になりっぱなしだな・・・
すごく感謝してるよ。こんな所じゃ俺は何もできなくて」
本当にこの子がいなければどうなっていたか。
もしや今頃あいつの腹の中だったかもしれないのだ。
狐もそうだが不思議な少女・・・俺の命の恩人としか言いようが無い。
「なぜあの巨体は俺を襲ってきたんだ・・・?」
「それは、君が生きているから・・・。命がまだ輝きを持っているから」
生きている者が襲われる。滅茶苦茶な答えだ。
しかしあの状況、なぜ俺だけが付け狙われたのか。
「なら君も・・・同じだろう?こうして話をしているんだから」
「私は・・・」
狐が目配せをしている。俺はあまり喋らない方が良いのだろうか。
それに言葉をつぐむ様子からしてあまり触れてほしくないことなのだろう。
「それじゃあ・・・君はなぜ俺を助けてくれたんだ?」
「なんか、ほっとけないからよ。こんな所で生き物の匂いをぷんぷんさせて。
・・・それと私のことは・・・遥って呼んで。他人行儀は嫌だよ」
一日掛けて歩いたとしても森林から抜け出るのは困難なようだ。
薄暗い黒に染まっている景色は肺によどんだ空気を運んできそうである。
そんな景色も夜という概念も持つらしく更に暗さを増してゆく。
完全な黒に染まるまでにはひと段落つけて休める場所に行きたい。
しばし歩くと林の開けた場所に着いた。
そこで遥は立ち止まった。
「真っ暗な世界、朝も夜もぜんぶが黒。酷い世界だって・・・思った、よね?」
「ん・・・まあな。気づいたらこんな所だなんて思わなかったし」
「この世界はね。死んでるの。そしてここにいるものは全て死んでいる」
死んでいる。ならここにいる俺はどうなのか。俺も死んでいるのではないか・・・?
嫌な予感がよぎるがさっき遥は俺の命がまだ輝きを持っていると言った。
「私は死んでる・・・。そこの狐さんだって同じこと。
元々命を持っていたかは知らないけどね」
「俺は崖から落ちてその後・・・」
「あなたは迷い込んでしまった。生きたまま仮死世界へ」
仮死世界・・・?この世界の名称にしても良い聞こえではない。
俺は元の世界に戻りたい。平穏だった日々をできれば取り返したい。
俺はなぜこんなに居心地の悪い場所へ放り出されたのか。
「だけどここへ来たあなた・・・。何か無くしたものがある。
あなたにとって重要な、何か。でなければ仮死世界には来れないはず」
遥の言う意味は俺には理解し難い。
・・・足が痛む。まだ傷が癒えるには早い時間だった。
「少し休んでいかないか」
「・・・うん。じゃここで待っていて、私は少し先に用があるの」
遥は小走りに駆けて行く。
後姿はあの人に似ていて・・・落ち着かない気分になった。
「おぬし。鈍感だ」
重苦しい空気に我慢しきれなくなった様に狐が言う。
「あの女の気を損ねるような事を言いおって。きゃつは祈祷師じゃぞ。
主はおぬしが気絶している間、殺されそうになったのだぞ。あの祈祷師にだ。
キツネ!あなたがやったんでしょ!とか剣幕立ておって、追い回されてな」
狐も妖怪の類であると間違われて敵視されたのか、大変な目にあったようだ。
「そりゃ大層なこった。ところでその主ってのはなんなんだ」
「おい、おぬし。自分の祀る者も忘れておいでか」
「もしかして、お、お稲荷・・・さま?」
「とんでもないやつじゃの、何も知らずに主に身を預けるとは」
この狐は先の戦いで俺の何かを奪うと言って力を貸した。
というより俺が取り込まれたのだが。
「一体俺の何を奪ったんだ」
「生きてる頃の記憶じゃ。喰われた分だけ思い出せなくなる」
「な、なんだって・・・」
ということは何度も喰われれば元の世に戻る意味も無くなるということだ。
この狐は恐ろしい生き地獄の呪いを俺にかけたも同じようなことだ・・。
「喰った記憶は返さん。まぁ、そのうち返す意味も無くなるだろうが」
眉間に縦皺を寄せ嫌に嬉しそうな顔をする狐。妖怪は妖怪ということか・・・。
「まぁそう落ち込むな。主だっておぬしらの食べ残しは食べ飽きた」
ニタニタと笑う狐はもう俺を喰い尽くすことが決まったように嬉しがっている。
こんな奴が俺の守護神だなんて、考えるのも恐ろしい。
疲れも溜まってこれ以上悩むのもしんどくなってきた。
「もう十分歩いたわけだ。しばし休め・・。
横になってしまえば今日あったことは忘れられるかもしれぬぞ。
その時だけな・・・」
体の疲れは否めなかったのか、その場で寝ていたらしい。
なぜか夢見ごこちは家で布団を被るそれの感覚に似ていた。
この乾燥した空気の場では考えられないことだが・・・。
ガサッ
林の奥から物音がし、誰かがこちらを伺っているのに永汰は気づいた。
それは踵を返し、森の奥へ戻っていったようだ。
いてもたってもいられず永汰はそいつを追いかけてみることにした。
林を掻き分け進むとあんなに深かった森を抜けて
沼が床を閉め尽くす汚れた湿地が姿を現した。
夜が全て暗く染めて、その先は何も見えなかった。
沼の先から誰かがこちらを伺っている。
俺を見続けるその目は不快感と違和感を感じさせる。
「誰だ、そこにいるのは」
「・・・。」
何か聞き覚えのある声が少し聞こえた。これは・・。
「・・・神乃?お前なのか、そこにいるのは」
「永ちゃん、助けて・・・痛いの。助けて」
信じられないことに何処かへ行ってしまった彼女の姿がそこにあった。
もう会うことも無いかもしれないと心の中では思っていたのに彼女は存在している。
今、目の前に。
「大丈夫か、どうしたんだよ神乃!」
「助けて・・こっちへキテ・・・」
沼に引き寄せられていくのに体を任せて神乃の元へと歩いていく。
ぬるい、ねばねばとした沼の中に体をうずめる感覚と、麻痺していく体。
目を閉じてもう一度聞いた神乃の言葉は・・・人間の声ではなかった。
「体ガ乾イテ死ニソウナノ・・。魂ヲ頂戴ヨ・・・。痛ク無イカラ・・」
罠だった。迂闊な作戦にまんまとはまったのか。
忘れられない彼女の影に俺の精神は麻痺して、目の前の嘘を見抜けなかった。
思えば彼女はおしとやかで。こんな時だけど彼女の顔を思い出している。
いつも考えていた。彼女を満足させる方法、幸せの糸口。
今ではもう間に合わない・・・。彼女は何処に行ってしまったのか。
ズジャアアアアアア!!!
高い唸りと烈火が辺りを巻き上げながら沼の影を吹き飛ばした。
「下衆にやる食べ物ではないわ。そいつを寄こせ馬鹿者」
狐は異形に話しかける。その言葉の一つ一つに鋭いトゲがある。
言葉は呪詛と威嚇の意味を持つ。二つの力で異形を圧倒させた。
怯んだ異形に俺は体の支えを失い、沼に放り出された。
それをうまく受け止めた狐は動物の姿ではなく、人の姿をしていた。
否、俺は狐と一つの体を共有し、人妖となり果てていた。
「よっと、後悔・・・おぬしの思いは頂いた。しばしの我慢じゃ」
狐は俺の体を操り、両手から紅蓮の炎を引き出してそれを溜め込んでいく。
異形は異変を察知して沼の水分を吸い上げ、それを自らの正面にかき集めていく。
狐が炎を放ち、真正面から水の壁に突入していく。
轟音とともに水は弾け飛び、その厚みを失った。
「グググルゥゥウウウ・・」
しかし異形には傷ひとつ与えられていないようだった。
「く・・・もう一度だ!」
強い光を孕んだ炎を相手を取り囲みながら衝突させるが水の壁に遮られて
異形に届くこと無く、その威力をかき消されていく。
何度か攻防は繰り返されるが敵の地の利に狐の力は半減してしまい、
狐と俺の体力は削れていく。このままではらちが開かない・・・。
「永汰さん!」
後ろから聞こえた遥の声に気づいた俺はそちらから投げ渡されたものを受けとった。
狐とリンクした体の主導権を操り、
白い鞘に収まったそれを引き抜くと眩しい光が辺りを覆った。
あまりの眩しさにその場の全員が目をつむった。
乾いた風の音も異形の呻きもすべて吸収して音の無い世界を形成し始める。
眩しい。目を開けたら眼球が焼ききれてしまいそうだ。
しかし今相手を倒せなかったら次に行動を起こしたとしてももう、
こちらに勝ちの分が無いことは確かだ。
やるしかないんだ・・・。
目を見開き、真っ白に染まった世界に浮かぶ敵を視覚に入れる。
点と線で繋がれた絵画のような視界に敵と対峙する自分が見える。
白い光が時を止めたように相手は呻いた格好のまま動かない。
すばやく近づき、一太刀。重い。
力ずくで横に引き、そこにできた白から切り離された黒。
何も無くなった。そこにあるはずの線は漆黒に塗り固められて姿を無くした。
もう一度太刀で強く引くとそこもまた黒く塗り固められていく。
刀を振る度自分の体に激痛と何かの感情が湧き上がる。
これは・・・飢え?斬られた者の強い想い・・?
もうだめだ・・。苦しい。血を抜かれたようにだるいものが体を襲う。
「ぐ・・・永汰・・!刀を鞘に納めろ・・、死ぬぞ・・・!」
その言葉にはっとし、残った体力を奮って鞘に刀を押し入れる。
光が抵抗して剣が鞘ごと弾け飛んでしまいそうだった。
渾身の思いで最後まで押さえつけると力は収まって暗い景色が戻ってくる。
視界には体を空間的に除去された異形が居た。
異形は切断された体をウジウジさせて呻きながら水を一点に溜め込め始めた。
その時異形の頭上に飛び上がる影とともに黒い蝶の群れが放たれた。
蝶が異形を覆い、黒い背景と同化したような配色に埋もれた。
それきり呻きは聞こえなくなった。
「ピンチだったね」
「ああ・・・うん。一時はどうなるかと思ったが」
狐はもう俺と同化した体から離れて、体を丸めて休んでいた。
遥に助けられた俺はまた貸しを作ってしまった。
「あの剣は・・・どこから」
「神社だよ。この近くにあるの。
そこに祭られていた刀なら今後力になるかなって思って」
「近くに神社が・・。そこまで案内してくれないか?」
「でもその狐、妖怪なら連れていく訳にはいかないんだけどな」
「どうすればいい・・・」
「結界を張ってあるから、もしかするとあなたと同化すれば別かもしれない。
でもその狐・・・まぁいっか。随分仲良いみたいだしねっ」
「どこが・・・」
狐は尻尾をゆるゆると振りながら寝息を立てていた。
仮死世界