違和感
永汰は何かに押し出され、落ちていきながらも確かに見た。
何かの人影が横を通り過ぎたのを。誰かが、立っていた。
髪の毛の、長い女性。その人影を見て吹き上げてくる心は・・・
なぜなのか。身を焼くような悲しみと、やりきれない想いだった。
そのまま永汰は気を失った。
体の節々が痛い。一体あれからどれほど時間がたったのだろうか、
今何処にいるのか分からないがまぶたが痛くて開けることもできない。
ふと、冷たい何かが俺の頬に落ちてきた。
なぜだろう・・・。また悲しさが増してきた。なんて冷たい雨なのか。
「あ・・・どうして」
声が聞こえる。女性の声だ。
目を開けてそれが何かを確認する。
視界が徐々に戻るとそれは俺にとってとても大切だった人がいた。
「じ・・・神乃・・・神乃じゃないか・・!今まで何所にいたんだ!」
「え、私・・?」
「雨が降って、土砂崩れにまきこまれて・・・とにかく心配したんだぞ!」
しかし返事は意外にも、
「私、神乃じゃないです。そもそも、誰?それは」
「な・・・っ」
神乃じゃない・・・?どういうことか俺には分からなかった。
よく目を凝らすと、段々と視界が戻ってくる。
顔立ちは・・・紛れも無く俺の記憶にある彼女の顔だ。間違いない。
しかし、髪の色が違う・・・彼女は艶々とした黒い髪だったはずだ。
この子は、色素が抜けたような薄い茶がかった黄色い髪だ。
どういうことだかしばし混乱していたが沈黙を破ったのは彼女だった。
「用がないなら私はこれで・・」
立ち上がって小走りで雑木林の中へと入っていった。
去り行く彼女の服もまた、神乃の着るような服とは少し違っていた・・・。
周りを見渡すとすぐ異変に気づいた。
赤いのだ。全てが赤と黒で折り重なってできたような気色の悪い景色だった。
先ほどから座っている状態なのだが、地面の感触もじめじめとしたものがあり、
とても良い気分とはほど遠い。その割、空気はかさついている。
「いつまでそうしている気なのかね」
そう横で声がした。
反射的にそちらを向いたら、狐がいた。
信じられないことに人の腰ほどもある狐は言葉を話していた。
凄まじい火炎をまとった、尾が数本もある狐。
その顔が不機嫌そうに眉間の辺りに縦皺を作る。
「どうした、そろそろ退けと言うておる」
「あ、ああ・・・」
「もうすぐあれが来るかもしれん。怪我を治して貰って呆けるのも良いが、
時間はあまりないな。ほれ、走らんか」
自分の腕や足を見ると応急手当がしてあった。
崖から落ちたのだから無事では済まなかったわけだ・・・。
しかしさっきの少女が手当てをしてくれたのなら、
何か恩に報いなければ情に反する・・・礼をしなければ・・・。
しかしこの奇妙な狐、よく見ると怖い顔をしている。
こんな気味の悪いところで悪霊のような狐の相手をするのは恐ろしいが、
今反抗して食われでもしたらそれこそ恐ろしい。
傷の痛むのを抑えてひとまず言うとおりにこの場を後にすることにした。
匂いがする。匂いがする。ナンダこの匂いは臭い臭い。美味そうだ。
おでらのものだエモノだクワセロクワセロクワセロ喉が渇く体が痛い
血だ肉をカジラセロ呪詛を吐け臭いを追えカジッテチギレ追え追え追え
「おぬし、朝何食べた?」
「何、いきなり変なこと聞くな・・?」
この狐、さっきから何を考えてるか分かったもんじゃない。
朝食べたものなんか気にすることか・・何にしても狐が喋るほうが一大事だ。
「インスタントの味噌と飯を一緒にかっこんだよ」
「そうか、我はな。稲荷を食った」
何をこの狐・・・なんか自慢気だぞ・・頭おかしいのか。
「でもまだ足りん」
一体何が言いたいんだ。
「もうすぐ迫る時が来る。其の時のためにおぬしの記を喰わせろ」
「なんだって?」
「主は妖怪だ。記を喰わせろ」
こいつ・・・俺の何かが目的でついて来たのか。
大体いつまで俺と居る気なんだ。
そう思って後ろを振り返ると、狐は居なかった。
風ひとつ無い。赤と黒の木が立ち並んでいるだけの道が続いている。
気味が悪い。一人でいたら狂ってしまいそうだ。
そのとき後ろで音がした。ごうごうという音。段々迫ってくる。
林の中からこちらへ向かってくるそれが何なのか。
目を凝らしているうちに見えてきたそれはとてつもない大きさであった。
もうすぐ目の前に姿を現すであろう時に背後から激しい烈風が吹いた。
ただでさえ黒い景色が漆黒に染まり尽くす風。
風は現れたそれに直撃して赤まだら模様の木々共々なぎ倒してゆく。
何が起こったのか。血を流すそれは早くも起きだしている。
ふと鼻を衝くような異臭が立ち込めた。
とてもこの世の物とは思えない出で立ちのそれが姿を現す。
「・・・ウッ!?」
一瞬見ただけで吐き気がした。それは存在してよいのか。
複数の顔が連なり目の数口の数が顔にも合わず、形は均衡を保っていない。
ただでさえ歪んでいる顔ともおぼつかない顔達は
風の衝撃に苦痛の表情を浮かべた。
「ダレダおでの邪魔するやずぁああああああ」
凄まじい悪臭を吐き出すそれに俺は何も対抗する手段は無い。
「いつになく元気ね・・・正面から戦いたくないと思ってたのに」
異形に対抗する誰かとは、俺が倒れた後最初に会った少女だった。
黒い風を自在に操り、異形を押さえ込む。
その表情には恐れにも勝る鋭い意思が窺(うかが)えた。
「フフグフザゲンナァァアああああ!!」
しかし異形の者はそれ以上の力で風を無理矢理押し返す。
「・・・ぐ・・負けない、負けちゃいけないんだ・・・」
圧倒的に異形のほうが力は強く、黒い風の壁は薄くなり、形が崩れていく。
蛾?黒いそれは蝶の形をしているが濃すぎるその色によって蝶には見えない。
力と衝突する意思の塊である風はあまりに強く、黒く、それでいて眩しい。
この火を絶対に絶やしてはいけないと俺は思った。
彼女には仮もある。目の前で死なせるような事があってはならない。
しかし自分には力が足りない。異形を倒す様な力なぞ持ち合わせていない・・。
「おい少年、主を忘れておいでか」
いつの間に狐はすぐ傍に現れていた。
「記を喰わせろ、さすればこやつを捻り潰してやろう」
「ああ・・・わかったよ。俺の何でも喰えばいいだろう!
この状況をどうにかしてくれ!」
狐は眉間の縦皺を深め、嫌に嬉しそうな顔をした。
「願いは受けた。少し痛いぞ?失う物も大きいぞ?」
途端に狐は信じられないほどの大口を開けて俺の顔面を丸ごと齧(かじ)り、
引きちぎり、咀嚼した。激しい痛みにのたうち回ろうとするが体が動かない。
体が、無くなっていた。狐の声だけが体の無い俺に聞こえる。
「我はおぬしの主じゃ。安心しろ。少しの間体を貰い受けるだけだ」
何を・・・俺は死んでしまったんだ。お前の一齧りで俺は死んでしまった!!
「怒りか。良いだろう。その力は貰い受けた・・!!」
一瞬視界が飛んだかと思うと、目の前に巨体の異形が現れる。
そして狐の尾から放たれたのは深い赤で塗り固められた業火だった。
見る者に地獄を思わせろ業火は異形を炎で染め上げ、締め上げる。
「グベゲェぇぇええ!!あじぃィ!しぐギィィィァァああ!!」
紅蓮の炎と漆黒の風が折り重なり直線状の全てを力任せに破壊した。
とめどない赤と黒。それは風景のすえた赤や黒の色とは掛け離れた色。
明らかに生きている。人間の温かさを感じさせた。
心が温かい。体の芯から湧き上がる熱い温かみを俺は感じていた。
これが死なのか。ここが天国か。
こんなに死ってものは安らかなのか・・・。
「もう目が覚めても良い頃合いだが」
ふと声がしたので重い目を持ち上げると、あの人がいた気がした。
しかしその女性の髪は違う人のものであった。薄い茶がかった黄の髪色。
「あ、起きた。起きたよ!」
「俺は・・・死んだのか?」
「いや、まだ死んじゃいない。言っただろう、借りるのは少しの間だけだと」
「私・・・あなたも虚無の仲間入りしてしまうのかと思うと、必死で・・・!」
「虚無・・?なんだお前ら意味の分からないことばかり・・」
「助かって良かった・・っ!」

先ほどまで少女の膝に寝ていたようだが今度は抱擁まで受けてしまった。
少女は本当に安心したのか、そのまま俺の体をなかなか離そうとしなかった。
しかしその体は、生きてるとは思えないほどに冷たかった。