第五話




それは目覚めてから一夜が開けた朝の事だった。
体調のすっかり良くなっていた。
裕一はベッドから降りてリノリウムの床の上に裸足で立ってみた。
冷たい感触を足の裏全体に感じる。
自分の生を改めて実感する。
感触に浸っている時、扉が開いた。
「もうすっかり元気なようだね。」
白いジャージを着込んだ北山が入ってきた。
その左腕には同じジャージが握られている。
「じゃあコレに着替えてさっそく始めようか。」
その言葉を理解出来ずに祐一はきょとんとする。
北山はその様子を見て不敵に笑う。
祐一に近づき肩に手を置いてさわやかに言った。
「特訓だよ。」




「まず人間のもっとも弱点となる部位、鼻筋、喉、鳩尾、股間、そして脊髄は正中線、つまり体を左右対称に分割する場所に集中している。」
北山は右手で手刀を作り、額から足元の中心に手振りをする。
「よって大概相手の正中線を狙うと共に自分の正中線をカバーする構えをしなければならない。」
左手を顔の前で、右手は腹部の前で拳を握る。
左足を一歩半踏み出し構える。
「間違ってもK-1やボクシングのマネはしてはいけない。あの構えはルールの上で成り立つ強さの構えだからね。」
祐一は北山のマネをして構えてみる。
戦闘においてまずその基本である構えから教わっているのである。
二人は病院の屋上にいた。
広がる空に風が穏やかになびく。。
物干し竿に干された白いシーツは風に踊らされる。

一息ついたのか祐一は緑色のフェンスにもたれかかる。
「俺、こんなに物覚え良かったかな?」
手の平を見つめて小首を傾げる。
「それはACSALの効果だね。」
祐一の隣に北山は座り込む。
「ACSALは血液を巡り体の各器官に浸透する。浸透したACSALは組織駅から細胞膜まで侵入して細胞核と結合する。そこからDNA情報を新たに書き加える事により、細胞の進化を促す。それによって身体能力は物質的に強化される。それは脳にも例外はない。私たちの五感や身体能力だけでなく、記憶力などの神経系も強化してくれる為だろうね。」
祐一は容易に納得出来た。
目覚めたときにそんな事を感じていのもある。
また北山が話す内容もすぐ理解出来ていたからだ。
「じゃあ上手く扱えばこれは良い薬になったんじゃないか?」
北山は祐一の質問に自嘲気味に笑った。
そして空を見上げる。
その目には悟ったような、それでいて哀しげなものを祐一は感じた。
「そう上手くいけば良いと私も思うよ。」
自分があたかも夢みたいな事を言ってるように指摘された感じがした。
祐一も北山の見る空を眺めるのだった。


病院の外にある広場。
きちんと手入れされた芝生と木々。
老人の乗った車椅子を看護婦がにこやかに押している。
入院して一日中ベッドの上にいる人は息抜きにここへ来る。
家族と談笑しながら散歩をしたり、芝生の上でひなたぼっこが主である。
そこは人々の安息の領域と言える。
そんな穏やかで安らぎを与える空間に怜奈はいた。
一人ムスっとした様子でベンチに腰をおろしている。
のどかな風景。
さわやかな風。
そのどれもが気に入らない。
本当にむしゃくしゃして頭にくる。
昨夜あの男に散々言いたい事を言ってやった。
しかしどうにも腹の虫はおさまらない。
自分でもこの苛立ちがどこからきてるのかわからない。
ただイライラを一人募らせていた。
怜奈は祐一にひどく劣等感を感じていた。
自分は父の為、負の感情を押し殺した。
この数年、迫り来る追っ手に対抗するために死に物狂いで戦闘技術を学んだ。
懸命な努力から成り立つ自信を持っていた。
しかしいきなり現れたあの男は思うがままに負の感情を曝け出した。尚且つ何の努力も無く無理矢理な戦い方をする。それで怜奈がどうやっても太刀打ち出来なかったヴィクティマを軽々蹴散らしていく。
怜奈の自尊心は深く傷ついた。
自分が今まで味わってきた苦労を嘲笑われてるような気持ちだった。
そしてそいつに対し虚勢を張ってる自分。
何とも卑屈で惨めだというのが彼女の苛立ちを一層駆り立てるのだった。
「ホントやってらんない。」
一人誰に言うわけでも無く俯きながら呟く。
「おう、小娘がいるじゃねぇか?」
聞き覚えのあるガラの悪そうな声に思わず顔をあげる。
目の前にはトレンチコートの二人組が立っていた。
「よう。あいつら呼べよ。ここで殺してやるからよー。」
イグザルトは不敵な笑みを浮かべて怜奈に詰め寄る。怜奈は物怖じする気配はまったく見せない。
それどころか眉をひそめて鼻で笑った。
「お父さんを呼ぶまでもないわ。アンタ達なんか私一人で十分だわ。」
怜奈は欝憤を晴らすべく、無謀にもインセクターの二人に飛び掛かっていった。





特訓はハイペースで進んでいた。
もう半日が過ぎていた。
まだ素人くさいぎこちなさが残っているものの、形にはなってきている。
「こう呑み込みが早いと教える方は気分がいいよ。」
北山は汗を拭いながら誉める。
そして特訓を続けようとした時だった。
下から聞き覚えのある甲高い声が聞こえた。
「カームネス!アビス!出てきやがれ!!小娘を殺すぞ。」
フェンス越しに声の方を覗く。
トレンチコートの二人組が立っていた。
まわりの木々は鋭利な刃物で切り裂かれたような切り株となっている。
切られた上部があたりに転がっている。
芝生には点々と血の水溜まりが見える。
そして切り裂かれてバラバラの死体が転がり落ちていた。
憩いの場は好き放題に荒らされていた。
イグザルトは怜奈の首を左手でつかみ高くかかげている。
怜奈は体中傷だらけだ。
満身創痍で自分の首を握る手を振りほどこうと抵抗する。
その様子にイグザルトは優越感に浸りながら見ていた。
「怜奈!?」
かけがえのない娘が苦しめられている。
驚愕した北山はいてもたってもいられずフェンスを軽く飛び越えイグザルトめがけて飛び降りていった。
祐一もあとに続いて飛び降りる。
北山と祐一は落下しながら腹部からCSコアを現出させて黒い障気を放つ。
着地と同時に変身を完了する。
二体のインセクター、アビスとカームネスが着地の衝撃でひび割れるコンクリートの大地を踏みしめた。
「じゃあさっそく始めよう。」
ルナシーの言葉と共にイグザルトは怜奈をカームネスに乱暴に投げつけ、ポーズを構える。
ルナシーとイグザルトの腹部にもCSコアが現出する。
黒い障気を放ち二人は変身した。
カームネスは怜奈を優しく受けとめる。
「怜奈!大丈夫か!?」
ボロ布のようになった怜奈。
父親の腕で小さな肩を震わせる。
「・・・何で?・・何で適わないの?」
生身の少女がインセクターに適わないのは当然である。
しかしただ理不尽に自分の人生を狂わせ罪もない人々を惨殺する紅い月。
手も足も出ない事が悔しかった。
うつむきながら泣くのをこらえる。
どうしようもない悲しみ。北山はそんな娘を黙って見つめることしかできない。
その様子に構わずルナシーが低空飛行で迫り来る。
それに気がついたカームネスは怜奈から離れる。
大きく羽を広げて地面に右手のランスを突き刺す。
一瞬しゃがみこむような体勢なる。
一気に飛び出し急加速してルナシーに突進していく。
ルナシーとカームネスの体が触れた瞬間。
重なる二つの影は高速で空へ突き抜けていった。
「で俺の相手はまたアビスか。」
ため息まじりにつぶやくとイグザルトは両腕を大きく開き構える。
咄嗟にアビスは次の行動が読めた。
真空波が来る!!
アビスはすぐに隣にいた怜奈を抱いて駆け抜ける。
その感はまさに的中した。
駆け抜けるアビスに真空波の嵐が飛びかってくる。
イグザルトの周りをぐるりと廻りながら避ける。
真空波がわずかに体をかすめていく。
「オラァ!もっと逃げなぁ!!」
イグザルトは獲物を追い詰める楽しさに酔い痴れる。
踊るように腕の鎌を振り乱し、真空波をあたり構わず飛ばし続ける。
あたりの木々はさらに吹き飛ぶ。
病院の外壁は次第に崩壊していく。
まだ何が起きているのか把握出来ず立ち尽くす人々。
理不尽に全身を分断されていく。
血の雨が降り注ぎ、まだ生き残っている人々は絶叫し我先と逃げ出していく。
そんな人達に追い打ちをかけるように真空波の嵐は止まない。
そこにいた全ての人が切り裂かれ、骸となり血飛沫をあげる。
止まない血の雨がさらに細かく分断される。
霧状となって辺りを包み込み、肉片はとめどなく切り刻まれる。
まさに悪魔の宴であった。
アビスはむせ返る血の臭いに吐き気を催す。
漂う赤い霧の中を抜け出して崩れた建物の陰に隠れた。
そこで怜奈を降ろす。
「ここで待ってろ。」
怜奈は背中を向ける。
結局自分は足手纏いになって助けられていた。
唇を強く噛んだせいか、口から血が流れる。。
そんな少女の肩にそっと手が置かれた。
「・・・俺、わからないんだ。」
「はっ!?何が?!」
ただでさえ苛立っている。
わけのわからない事を言われてアビスをキッと睨む怜奈。
「・・お前の父さんと話してさ、何の為に戦うか。・・・わからないんだ。」
どうしてそんな事を言ったのかは分からない。

「ただ思ったんだ。俺はさやかさんが殺されて悲しいとかやつらが憎いとか思う前に・・・。」

アビスの真摯な言葉に怜奈は自然と素直に耳をかたむけ始めていた。

「さやかさんが好きだったんだ。」

ずしんと心に何かが響いた。
怜奈自身も心の奥底にあった思い。
自分と同じ思いをかかえている人間がここにいる事を知ってしまった。
「俺はお前のように戦えないよ。」
「違う!」と大声で叫びたかった。
自分も彼と何も変わらない事を伝えたかった。
母さんが死んだと聞かされた時、激しい憎悪に駆られた事を忘れはしない。
でもそれは母さんがとてもかけがえのない存在だったから・・・。
声を出して伝えようとすれば泣き崩れてしまう。
今にも漏れてしまいそうな嗚咽をこらえ、ただ黙って耐える。
今まで自分より強い力を手にしている彼に嫉妬していた自分が恥ずかしかった。


気がつけば真空波の嵐はやんでいた。
「アイツと決着をつける。・・待っててくれ。」怜奈はアビスの赤い目を見つめる。
アビスはきびすを返し、赤い霧の中に突き進む。
真空波が止んだせいか少しずつ霧が晴れていく。
二体の異形は吐き気のもよおす臭気が漂い、もはや死体と言うより肉の塊とよべるものが散乱した草むらの前で対峙した。
「おいおいアビスゥ、ちびって逃げ出すんじゃねーよ。」
イグザルトが仮面の下でニタニタ笑っているのが分かる。
両手の鎌を突き出し猫背の姿勢で構えた。
「・・・アビスって俺の呼び名か?」
アビスはただそこで自然体で立ったままである。
「ああそうさ!紅い月でそう登録されてるらしいぜ。いいからさっさと来いよ!」
「そうか。」
静かにアビスは左手を顔の前に、右手を腹部の前に添える。
脇を引き締め左足を一歩踏み出し構えの姿勢をとる。
「俺は第八のインセクター、アビス!お前を地獄に突き落とす!!」
「へっ、オモシレェ!やってみなぁ!!」
二人は同時に駆け出し殺し合うのだった。





空では凄まじい攻防戦が繰り広げられていた。
ルナシーがはばたくと同時に風を巻き起こす。
羽のリンプンが飛び散り空気と混ざり合う。
酸化反応を起こした空気が爆発する。
カームネスはジグザグに飛び回り爆風を見事にかわして詰め寄る。
「アーリータイプのあなたが僕には勝てない!」
「君は潜在能力だけが強さだと思うかい?」
間合いを詰めて射程圏内に入る。
ここぞとばかりに右手のランスでルナシーを攻める。
ルナシーは神速の突きを上手くかわして羽をはばたかせる。
これだけの近距離ならさすがにかわせまいと爆発攻撃を仕掛ける。
カームネスはそれを待っていたと言わんばかりに急速でルナシーの頭上に飛び立つ。
空中で一回転してルナシーの背中にかかと落としを決める。
思いもしない事態にはっとした時はすでに遅い。
自らが放ったリンプンの中に突っ込むように押し出される。
同時に爆発が起こる。
「能力に頼りすぎて工夫する事を忘れてはいけないな。」
カームネスは余裕の表情を保ち、爆発した方へ向き直る。
ルナシーは爆発の衝撃を直接浴びて深手をおってしまう。
体の前面の装甲は焼かれ、皮膚が露になる。
苦痛と侮辱におぞましい殺気をむき出しにしてカームネスに飛びかかる。
「僕を舐めるなぁ!!」
「ふむ、常に冷静さを保たなければ実力は発揮できないよ。」





イグザルトの一方的な攻撃が続いていた。
なんとか近づきたいのだが、真空波の嵐が激しすぎて近寄る事が出来ない。
北山との特訓の成果かしっかり相手を見定める事が出来る。
わずかな筋肉の動きを読取り真空波の軌道に即座に反応する。
体の重心を細かく早く移動させる。
風が巻き起こす狂気の刄を寸でのところでかわす。
動きに無駄はなく確実に刄を避けていく。
しかし駆け抜けながら遠距離攻撃をしかけるイグザルトを追い掛ける事は着実に体力を削られていく。
いずれはあの刄の餌食になってしまう。
インセクター同士の戦いにおいて基本的な戦闘技術も必要である。
だがインセクターは普通の人間では有り得ない特性がある。
つまり格闘における例外を持っている。
イグザルトの場合では真空波がいい例である。
そのおかげで間合いを詰めることなく必殺の一撃を繰り出すことが出来る。
(俺が持つ例外・・・。)アビスは思い切り手を天にかざす。
深く意識を右手に集中し、全身を駆け巡る力の流れのようなものを集約させる。
CSコアの結晶体とアビスの目が同時に輝き出す。
「血迷ってんじゃねーよ!!!」
イグザルトの鎌から放たれた風の刄がアビスに迫る!
刄があたるその時!!

激しい雷撃が真空波を切り裂いた!!!
アビスは右手から凄まじい赤い電撃を放ちながらそこに立っている。
「これが俺の例外だ!!」
右手を大きく振り払い握り締める。
電撃は一直線に放電してブレード状に形を留める。
(いけるっ!)とアビスは紅き稲妻の刄を振りかざす。
真っすぐにイグザルトへ駆け出す。
「オモシレェ、オモシレェよお前!!!」
イグザルトはアビスの激しい稲妻を前に歓喜した。
さらに激しく真空波を打ち出してくる。
前に突き進む事によって何倍もの速さの真空波を体感する。しかしアビスは臆することなく一つ一つを見定め紅き刄で霧散させる。
そして刄が届く間合いに入る。
「俺にだってなぁ譲れないものがあるんだよっ!!」イグザルトは咆喉をあげ、右手の鎌でアビスの首を寸断しようと肩を前に出す。
右腕を鞭のようにしならせ鎌を打ち込んでくる!
加速して迫るその刄を見切る。
アビスは駈ける勢いを殺さず左足を大きく踏み込むと同時に膝を曲げる。
頭の高さが下がり鎌が頭上をすぎる。
アビスはイグザルトの懐に入り右手に握る刄に全ての勢いを乗せて突き出す!刄はCSコアの丁度真上の腹部に突き刺さる!
紅い稲妻の奔流がイグザルトの髄まで流れ込まれる!!
激しい轟音が鳴り響き、カマキリの怪人は痙攣を起こす。
紅い光に包まれ焼き焦がされていく。
轟音と閃光はまわりの世界を震え上がらせるまでに凄まじい。



上空で戦う二体の怪人にもそれは届いていた。
「まさか!」
胸に一抹の不安がよぎるルナシー。
光の中心へ向かい仲間の安否を確かめようとする。
しかしカームネスが立ちはだかる。
「僕の邪魔をするなぁぁぁ!!」
羽をはばたかせリンプンを撒き散らすルナシーが直接爆発攻撃をしかける。
予測したカームネスは後退して構える。
だがリンプンは前の方には飛ばされずルナシーのまわりで爆発を起こす。
ルナシー自身、余波でただではすまないが、あちこちからくる爆風で変則な動きでカームネスを翻弄する。
「何!?」
予想外の動きについてゆけないカームネスを通り越す。
爆風による加速で一気に向かっていく。
近づくとそこには全身を焼き焦がして倒れるイグザルト。
跳躍して右足に紅い電撃を帯びてまさにとどめの一撃を放たんとするアビスがいた!
「ヒィィィロォォォォォォォ!!!!!」
叫び、親友を救おうと右手をのばす。
たとえどんな理由があろうと罪も無き人々を惨殺してきた者へ裁きのイカズチは降される!!
スカーレットパニッシャー。
紅き閃光が天から降り注ぎ、大地を揺るがす爆砕音が轟く!!!
あと少しで友に届く右腕はその大出力のエネルギーに呑まれ、一瞬で灰にされる。
肩の辺りまで吹き飛ばされたルナシーは衝撃に飛ばされていく。
その中で一瞬、光に呑み込まれていくイグザルトが見えた。
はっきりと見えたわけではない。
でもルナシーには彼が穏やかにほほ笑み「じゃあな。」と言ってるような気がした。
それがイグザルト、ヒロの最後の姿だった。



辺りが再び静まり返る。
瓦礫の影から出てきた怜奈が見たのは焼野と化した大地に一人たたずむ黒い悪魔だった。
病院の広場だったそこは地獄のような世界に変貌している。
怜奈には悪魔の背中から力強さや凶悪さは感じられなかった。
ただ罪悪感と悲しみがまとわりついた薄ら寒さだけがその悪魔から感じた。
心が締め付けられるような思いで彼に近づく。
そっと彼の背中を抱き締めるのだった。