第二話
裕一は夢を見ていた。
グラウンドの白いラインに沿って走り続ける。
風を切って走る。
それは苦しくも心地よく、清々しい。
ゴールにはあの人が待っている。
日暮 さやか。
自分がこんなにも人を好きになったのは初めてだった。
もうすぐ彼女の元へ辿り着く。
必死に彼女へ手を伸ばす。
その瞬間、辺りの景色が一変した。
裕一を闇が包み込む。
どこからともなく白い粘着質の糸が降りそそぐ。
それは全身に絡みつき、もがけばもがくほどに体にへばりついてくる。
「青年!苦しいのかい。」
どこからともなく声が聞こえる。
どこか軽い調子で、他人を見下した感じだ。
裕一は必死に目を凝らすと、あの蜘蛛が立っていた。
「そこでゆっくりしていなよ。僕はこの子と楽しいことでもしようかなぁ。」
怪人はさやかを抱きかかえ、そのまま闇の中へ溶けていく。
「ハハハハハ、ヒャーハハハハハハア!!」
下卑た笑い声だけが闇の中をこだましていた。
「クソッ、待て!クソッ!!」
尚も糸はもがくほど絡み付く。
しばらくすると、裕一は体に不快感を感じた。
何かが自分を這いずるような気持ちの悪い感覚。
闇に蝕まれていく。
「あ・・あ・・・うああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
裕一は目を覚ました。
「・・・夢・・・か?」
ふと呟くが、うまく声が出せない。
目もずっと暗闇からいたのを急に明るい場所に出たときのように、眩しくて、とてもじゃないが開けない。
体中の関節の節々が痛くて動くのも億劫だ。
「やあ、お目覚めかい?」
もうろうとした感覚の中で誰かが話し掛けてくる。
「何がなんだか分からないだろう。
安心したまえ。
君は生まれ変わった。この天才、神崎の手によって!!」
声の主は身勝手にまくし立てて喋り続ける。
「君こそ!今までの集大成!!
7体の虫の遺伝子情報を持つ、8体目のインセクターだ!!
喜びたまえ。君はこの世で最強だ。」
・・・何をわけの分からないことを言って興奮しているんだ?
裕一はそんなことより大切な事を思い出した。
「さ・・・・さや・・かさんは?」
「ん。何だね?
君も嬉しいか。そうか、そうか。」
「違・・・さ、さやかさんは?」
「ああ、彼女の事かい?
それはともかく君も見たまえ。
自分の姿を。」
騒がしい声を聞き続けたせいか、だんだん感覚が戻ってきていた。
機械の作動音が聞こえたかと思ったら、自分に前に何かが置かれた。
まだぼんやりとしか見えないが、何かスクリーンのようなものに黒い物体が映し出されている。
目をよく凝らしてみる。
それが何かと気づいたとき、血の気が引いた。
それは大きな鏡だ。
映し出されているのは自分。
しかしそこにぼさぼさの髪で、少し目つきの悪い青年はいない。
黒い怪物がそこにいる。
森で出会った蜘蛛の怪人とは少し違う。
全身が黒く、装甲を身にまとっている。
丸くて大きな赤い目が印象的だ。
その目から血の涙を流すように赤いラインが沿っている。
怪物は拘束されて、身動きがとれない。
「どうだい?素晴らしいだろう。君だ!」
・・・そんな馬鹿な。自分が怪物に・・・?
「それよりさやかさんは!?」
「まったく、この素晴らしさに興味を持たないとは。
彼女は君の隣にいるよ。
声を掛けてあげるといい。きっと喜ぶよ。」
骨張った手が目の前で右を指差す。
そちらに首を傾けてみる。
臓器だ。
心臓、肺、肝臓等、様々な臓器が個別に分けられて、緑色のホルマリンの液体に浸っている。
それらは大型のよく分からない機械に囲まれ、そしてなお脈打っていた。
「彼女はとても美しいねぇ。
本当に素敵だ。」
声の主は臓器のカプセルに近づく。
白髪で、鷲鼻の目つきの悪い容貌で、やせ細って猫背の中年だ。
カプセルを撫でて、愛おしそうに見つめる。
「ほら、こんなに元気に脈打ってる。
この奇麗な赤。
彼女はまだ生きているんだ。」
・・・・・。
何もかもが嘘であって欲しかった。
再び目を閉じて開けると、あの日の帰り道で、二人は肩を並べてて眠っていたらしくちょっとした話題で恐い夢の話をする。
そうであって欲しかった。
しかし、これは現実だった。
はっきりとした意識の中で裕一は頭の中に楽しかった日々を思い描く。
家族とのこと、学校のこと、そしてさやかさんのこと・・・。
それらは全て過去となり、二度と戻ってくることはない。
あるのは異形の自分とホルマリンの中の愛しい人。
太陽は闇に葬られた。
全ては暗黒に飲み込まれ、腐り果てていく。
心に咲き始めた小さな恋はあっけなく砕け散った。
そして心には新たな感情が芽吹き始めた。
底知れぬ憎悪。
破壊の衝動。
殺意と狂気に満ちた黒い瘴気が体中から溢れ出す。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
怒りに震える四肢は、拘束具を力づくでぶち破る。
「おおぉ!素晴らしい!!予想以上の力だ!!」
神崎は愉悦に浸る。
猛烈な怒りと憎しみが裕一を満たしていく。
憎悪の悪鬼と化した裕一は神崎に襲い掛かる。
悪鬼の黒い拳が神崎の顔を粉砕しようと迫りくる。
凄まじい衝撃が起こる。
体が宙に舞い、コンクリートの壁をいくつも突き破って吹っ飛んでいく。
悪鬼が。
破壊で立ち込める煙の中で神崎は悠々としている。
そして、傍らにはあの蜘蛛の怪人がいた。
「やぁやぁ、好調だねぇ青年。」
嬉々と呼びかける。
「サンプル1、後は頼むよ。ただ彼は最高傑作だからさ。
生まれたばかりとはいえ、やんちゃだから。
難しいだろうけどなるべく傷つけないようにしてね。」
神崎はにこやかに言うと、壁にある、非常ボタンを押して、部屋を出ていった。
警報が鳴り、電灯が赤いランプに切り替わる。
すると、ざわざわと白衣を着た研究員達が足早に機材をまとめて、ヘリや装甲車に乗って逃げ出していく。
「んー。サンプル1呼び方は気に入らないって言ってんのに。」
ふて腐れたように呟くと、壁が崩れて瓦礫となった所から黒い怪人が飛び出した。
「殺してやる。殺してやる。殺してやる。」
ぶつぶつ呪いの言葉を呟きながら、黒い怪人は蜘蛛の怪人を見据える。
「よう、僕の名はオリジン。
よろしくな。」
蜘蛛の怪人は名乗ると口笛を吹く。
どこからともなくオリジンに似た蜘蛛の怪人が現れる。
さやかさんと最初に見た蜘蛛の怪人である。
それがぞろぞろと頭を並べている。
「僕の下僕達だ。さあ彼らと遊んでくれよ!」
怪人達が裕一に襲い掛かる。
「うおおおおぉぉぉぉぉ!!!」
裕一も負けじと咆哮をあげて迎え撃つ。
黒い拳が唸りをあげる。
そして次々と怪人達の頭部を砕き、胴体を突き破る。
悲鳴をあげる間もなく怪人達の内臓や肉片が飛び散り、血煙を上げて倒れていく。
それはまるで赤い華。
裕一が拳を振り上げるたびにその華は美しく咲き誇る。
それは手向けの華。
さやかに送るささやかな愛。
裕一の無残にも汚され踏みにじられた恋心は歪んだ愛情表現しか出来なかった。
そして辺りは静寂に包まれた。
そこいら辺りが血の海で、肉片が床に所狭しと散らかっている。
そこに立っているのは二人の異形。
「さすがは8番目、中々やるじゃんか。」
オリジンは身構える。
「だけど・・・、パーティはこれからさ!!」
手足、背中の蜘蛛の足から勢いよく白い糸を吐き出す。
裕一はそれを咄嗟に避ける。
避けられた糸は辺りの壁や床に張り付き、トラップを形成していく。
オリジンは隙間を縫うように天井や壁へと縦横無尽に移動して、距離を詰めていく。
「さあ、さあ、さあ!!」
間合いを詰めて、届く距離まできた瞬間、蜘蛛の鉤爪が裕一に振り下ろされる。
間一発で裕一は避けるも、雑魚とは違い、胸の装甲の一部が削られていた。
オリジンはさらに蜘蛛の糸を吐き出す。
裕一は避けきれず思い切り白い粘着物を浴びる。
すかさずオリジンは跳び蹴りをかます。
蹴られた粘着物に束縛された黒い体は周囲の蜘蛛の糸に絡みながら転がっていく。
白い繭の状態になった裕一をオリジンは足蹴にする。
「こんなあっさりだとつまらないねぇ。」
そう言って繭を片手で持ち上げる。
「僕が再教育をしてやろう。」
鉤爪がぎらりと鈍く光ったその時、
「まだだああぁぁぁぁ!!」
繭が赤く爛々と輝き始める。
すると急に赤い稲妻が走り、繭が引き裂かれる。
凄まじいエネルギーにオリジンは引き下がろうとする。
しかし、黒い腕がずいっとオリジンの鉤爪を掴んだ。
「捕まえたぁ!」
黒い怪物はオリジンを引き寄せ、もう片方の手で思いっきりみぞおちを突き上げた。
「ぐぼぉぉ!?」
オリジンはそのまま腹を抑え込んで両膝をつく。
すると黒い怪物はオリジンをはなし、空へ向かって真上に跳びあがる。
「とどめだっ!!!」
右足に赤い電撃が集約して、そして一気に急降下する。
まるで赤い雷が落ちるように。
「ば、馬鹿なあああああ!?」
断罪の一撃。
罪深き異形を地獄に突き落とす。
スカーレットパニッシャ−
赤い稲妻が大地を引き裂き爆音を轟かす。
鳴り止むと急に静寂が世界を支配する。
大地は大きく窪み、中心にオリジンの亡骸はなく、すすの後だけが残っている。
その上には黒い怪人が一人佇んでいる。
目とバックルの赤いクリスタルはまだ余韻に浸るように明滅していた。
頭の中は真っ白だった。
悲しみの涙は浴びた血のように乾ききっていた。
ふいにさやかの笑顔がよぎった。
「はは、・・・はははははははははははははは」
ただその場で裕一は笑い続けた。